ヘンリーヘンリーズのギター担当。


by hayashihiromu

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日露戦争の以前以後で何が変わったか-司馬遼太郎史観に対して-

最近は片山杜秀という学者の方にはまってしまっていて、この方の本を色々渉猟している訳なのですが、本当に、なるほどな〜というのが多くて楽しいです。前回紹介した『未完のファシズム』においても書かれており、『国の死に方』という本でも書かれていることで、1つ。


戦前の日本を語る上で、このような見方があります。
明治のリーダー達、日露戦争までの日本のリーダー達には、思想があった。合理的であった。理性があった。しかし、日露戦争以後、特に昭和に入ってからは暗黒の時代になった。思想がなくなり、非合法的になり、理性がなくなった。すなわち、日露戦争までの日本は素晴らしく、以後の日本は悪い。

というものです。所謂、司馬史観ですね。坂の上の雲!


思想とかそんなもんよくわかんな〜い、となる方もいると思いますが、やはり政治家、軍人には哲学、思想は大事です。それがないと、未知の問題にぶつかった際、その方向性を決めていくときに行き当たりばったりとなってしまいます。

では、日露戦争以前以後で見てみましょう。
満州事変以降の日本の行動は、やはり行き当たりばったり的に見えます。勝手に満鉄爆破→なんやかんやで盧溝橋で始まった小競り合いがなし崩し的に支那事変→泥沼日中戦争→なんか米国が絡んできたから喧嘩→資源が足りなくなってさらに領土拡大を狙う→収拾がつかなくなる。
行き当たりばったり感満載ですね。

対して、日清・日露の頃は、しっかりと戦争の止め時を考えていて行われた、計画的なものであったということです。殲滅戦じゃないですからね。いかに自らが有利な立場で講和を結べるか、そこに頭を悩ませていました。

したがって、日露戦争までは思想があり、行き当たりばったり感満載の日露戦争以降は思想、合理性、理性がなかった、となるわけです。こう見ると、論理は通っているように思えます。

しかし、ここで疑問が生じるのは、なぜ、日露以降でこうなってしまったのか、ということです。
司馬史観的にみると、日露で勝利し、そこで日本は驕ってしまった、ということです。調子に乗ったってことですかね。「民族的には痴呆化した」とも書かれているそうです。

もちろん、このこともあると思います。しかし、果たしてそれだけでしょうか。
そこで、当時の明治憲法下における日本の政治システムを見てみましょう。

まず、なんとなくのイメージとして、戦前の日本はとても一元的であり、軍の独裁であった、というのがあると思います。これは本当でしょうか。
たしかに、軍の影響力は強かったです。しかし、実際には、当時の日本の政治システムは徹底的に分権されていました。現在よりもです。例えば、立法を司る議会は衆議院と貴族院があり、行政には内閣と枢密院がありました。軍は天皇直属のため、議会や行政からは独立しており、その中で陸軍と海軍は別のものでした。
そして、何より重要なのは、これら独立した機関を一元的に束ねる場がなかった、ということです。これら機関の上にあるのは、天皇のみ。そのため、各機関毎の縦の繋がりは強いものの、横の繋がりがなかったのです。

なぜこのようなシステムであったのか。それは、天皇を守るためでした。今までの日本の歴史を見ると、天皇には実質的に権力がなかった。第二の幕府を生みたくなかったのです。王政復古の名の下に、国家を1つにまとめるわけで、そこに権力者を生みたくなかった。
もう天皇を形骸化させてはいけない。そのため、権力を徹底的に分立することで、力を持った権力者を生まない構造にしたのです。

しかし、このようなシステムでは、物事を決める際に時間が掛かりすぎます。その上、各組織がバラバラであると、何か国難が襲ってきた際、国が一元的に対処できなくなります。特に、国内問題、外交問題、軍事、資源、経済等の全ての分野が絡んで来る戦争は戦えません。

ならばどうしたか。そこで日本は、元老を設置したのです。
元老とは、伊藤博文、山県有朋、松方正義などの明治の功労者に与えられたものです。元老には、何の法的根拠もありません。超法規的に存在していました。というより、元老が誕生したのは、美濃部達吉によれば1889年秋。明治憲法が発布されたのは1889年春で、施行されたのは翌年。つまり、明治憲法という法規と、元老という超法規は、表裏一体のセットとして誕生していたのです。明治憲法下のシステムを補うものとして、元老があったのです。

しかし、元老達にも寿命があります。1924年の時点で全員が亡くなってしまいました。表裏一体のシステムのうちの片方が、大正の時点で瓦解していたのです。そもそも、年齢的にも上手く機能していたのは明治まででしょう。

システムが壊れた後も、日本は粘りました。天皇機関説と二大政党制です。しかし、不況によりあえなくそれも終焉。日本はバラバラになりました。

すなわち、日露戦争以降の日本は、各組織をまとめるものが無かったのです。一元的に、明確な1つの目標を目指して動けなくなってしまったのです。

まとめると、日露戦争までの日本には、政治システム的に、日本の組織をまとめる場所があった。そのため、国家が1つの目標に向けて、一丸となって進めていた。坂の上の雲は1つであったわけです。しかし、日露戦争以後、もう元老はいなくなり、政治システム的に、日本の組織をまとめる場所がなくなってしまっていた。そのため、国家の目標はバラバラになり、その手段もバラバラになってしまった。坂の上の雲は分裂し、いつしか霧散していたのです。

このような、客観的なシステムを分析することにより、当時の印象が変わるのではないでしょうか。一概に、個人を責められません。システム上の悲劇であり、当時より未来に生きる私達は、ここに学ばねばなりません。

現在から戦前を振り返ってみたとき、しばしば当時の政治家、軍人個人の能力の無さを責め、悪であるとしてしまうことがあると思います。たしかに、そういう面もあるでしょう。しかし、そのような理由で責めても、それは思考停止となんら変わりません。当時の人を無能呼ばわりするということは、そこで完結し、歴史に学べないからです。

今、麻生副総理のナチスに言及した発言が、世間を賑わせています。あれは、完全に誤報であるというか、意図されたねつ造ですよ。原文を読んだらね、なんだか悲しくなりました。自民党を失脚させようとするのは勝手ですが、というかそれでもねつ造はダメですが、あの発言をあのような形で報道するということは、対外的に見て、日本の国益を損ねます。
麻生氏は発言を撤回されました。ジャーナリストの青山繁晴氏も言っていましたが、ナチに触れてはいけないということは、歴史に学ばないということです。ナチを単純に「悪」と決めつけて、何になるんですか。もちろん、あれは悪だと思いますよ。でも、それで完結してしまっては意味ないじゃないですか。ちゃんと議論できるようにならないと。

当時の人の能力が無いわけはないですよ。また、何の理由もなくおかしなことをする人間なんてそういません。例えば日本の場合、このシステムを見てみたとき、はたして一概に個人の能力に責任を押し付けることができるのでしょうか。かといって肯定するものではないです。学びましょう、ということです。


もうすぐ終戦日ですね。




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おわり
by hayashihiromu | 2013-08-05 12:00 | 普通

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