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『死に至る病』-セーレン・キルケゴール- ①死に至る病とは絶望である/「自己」について


最近、哲学の講義の課題で哲学書を渉猟しているため、せっかくなのでまとめたいなと。この前読んだ本が、セーレン・キルケゴールの『死に至る病』です。「死に至る病」という言葉は聞いたことのある人が多いのではないでしょうか。アニメ、漫画、小説の題名にたまに使われていますよね。エヴァンゲリオン!

あ、あと、訳は桝田啓三郎氏がいいです。ちくま学芸文庫の。訳注が素晴らしい。この訳注が無かった絶対に読めなかったです。



さてさて、この1849年に出版された『死に至る病』は、「死に至る病」を「絶望」であるとし、その「絶望」に関して緻密に書かれたものであります。第一編では、絶望とは死に至る病である、絶望とはどのようなものか、絶望している人の状態はどのようなものか、ということが書かれており、第二編では、絶望とは罪である、ということが書かれています。

ではでは、入っていきます。
そもそも、絶望とは何なのでしょうか。
端的に言えば、自らの否定したい非本来的な自己から抜け出せず、自分自身を無力に自己食尽するもの、だと思います。たぶん。

では、非本来的な自己とは何なのでしょうか。まずは、本書で書かれている「自己」というものについて考えて行きたいと思います。

キルケゴールは、冒頭で「人間とは精神である」と述べています。では、精神とは何なのか。すると、「精神とは自己である」と言います。では、自己とは何なのか。自己とは、「ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係」あるいは、「その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのこと」であると書かれています。「自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということ」なのだそうです。

1ページ目からこれであり、また、ここが非常に重要なため、もうわっけわからん感じなってしまうと思うのですが、一つ一つ考えていきましょう。

まずは、「精神」についてです。本書の訳注で桝田啓三郎氏は、こう述べています。人間は心霊的なものと身体的なものとの綜合であり、それを統一する第三者が「精神」である、と。心や肉体とは違い、精神とは、神の規定した人間の本質であり、人間の魂の奥底で神と交わる場所であり、永遠者の意識なのです。人間のもっているものより、いっそう高い意識生命のことが、「精神」であります。



少しだけ先行した話しをしますが、絶望とはこの「精神」が煩う病なのです。つまり、絶望とは外面的なものではなく、内面的なものであるということであります。たしかに、絶望に起因するものとは、例えば、クビになった、破産した、夢が破れた、傷つけたくない人を傷つけた、失恋した、大切なものを失った、などの、外的なものであります。しかし、その外的なものに絶望する、「何事か」について絶望するのは刹那的なものであり、結局は、このような状態にある今の自己自身に対する否定へとなります。だからこそ、永遠に続く苦しみなのです。

絶望とは外的なものではない。だからこそ、キルケゴールは死に至る病は絶望である、と述べていますが、この場合の死とは、「死を死ぬ」、「永遠に死ぬ」、「死にながらしかも死なない」ということであり、決して肉体的に死ぬことではないのです。生への希望もなく、しかし、死という最後の希望さえも剥奪され、死よりも苦しい苦悩を持ちながら、死にながら生き続ける。この状態が絶望なのです。



話しを戻します。精神についてある程度考えたところで、「自己」についていきたいと思います。
本書において、自己とは「その関係がそれ自身に関係するということ」とあります。これでは何が何だかです。
そもそも、人間とは綜合(「総合」の哲学的な言い方だと思います)であります。心霊的なものと身体的なもの、無限と有限、これらの綜合であります。この時、例えば無限と有限、という、2つの関係項の関係がありますよね。そして、この関係は、固定的なものではないはずです。つまり、均衡と不均衡があるということです。無限に比重が偏ったり、有限に比重が偏ったりして、不均衡の状態になる。しかし、不均衡の状態があるということは均衡状態もあるということであり、すなわち、2つの関係があるということであります。関係とは、固定的ではなく動的なものなのです。

この均衡状態の関係を、ハイデガー的に「本来的な関係」、不均衡の状態を「非本来的な関係」と呼ぶことにします。

繰り返しますが、本書では、自己とは「その関係がそれ自身に関係するということ」であるとしています。つまり、「その関係」とは、「本来的な関係」若しくは「非本来的な関係」のことです。となると、
「本来的な関係」若しくは「非本来的な関係」が、「それ自身」=「本来的な関係」若しくは「非本来的な関係」に「関係する」ということです。

この最後の「関係する」とは、態度を取る、ということであり、簡単に言えば意識をする、ということです。となると、「その関係がそれ自身に関係するということ」とは、「本来的な関係」が「本来的な関係」を意識すること、若しくは、「非本来的な関係」が「非本来的な関係」を意識すること、であります。これが、「自己」なのです。

「その関係がそれ自身に関係に関係する」、すなわち、或る関係項の関係がその関係自身の状態を意識すること、これこそが自己であるのです。そして、この綜合を措定する第三者が精神であるのです。

ここで、ちょっと複雑になりますが、この第三者の精神は、神との関係にあります。どういうことかというと、或る関係がそれ自身の関係に関係する時にも、その関係を措定する第三者が必要であり、それが神なのです。キルケゴールの意見ですが。

以上が、「自己」の説明であります。一気に書いから指が‥。不備ないかな‥。ちょっともう疲れたので、一旦切ります。キルケゴールの「自己」がどんなものか、大体分かって頂けたら幸いです‥。あってる保障ないけど‥。














つづく
by hayashihiromu | 2013-11-03 19:08 | 普通

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